
アパレルから金融、そして歯科衛生士へ。
「全然できていないよ」から歩き出した人は、
3年後、チームのいちばん上で、みんなを見守っていた。
変わったものと、変わらないものを、聞きに行った。
Kanako
Yoshino
吉野 可奈子(よしの かなこ)
歯科衛生士
臨床感染管理指導士
医療法人育芯会 人形町駅前クロス歯科・矯正歯科 勤務
歯科衛生士歴約10年。医療法人育芯会に所属し、現在は人形町駅前クロス歯科・矯正歯科をメインに、感染管理と後輩の育成を担う。法人全体の歯科衛生士総主任。8歳の娘を持つ母。

この記事は、二つの取材から生まれました。
3年前のインタビューと、3年後のいま。
時間をまたいで、一人の人を追いかけた記録です。
3年ぶりの再会は、人形町の昼下がり
最初に話を聞いたのは、3年前。事情があって、その原稿はそのまま眠っていた。今回、3年後の彼女に会いに行った。
再会の場所は、彼女がいま働く人形町の医院の近く。小さなレストランの、昼下がり。診療の合間で、2時半には医院に戻るという慌ただしさの中、それでも彼女は「こういう時間、嬉しいですよ」と笑った。
「あんまり変わってないよ」と言うと、「本当ですか?」と、あの頃と同じ顔で笑う。顔は、変わっていなかった。でも、立場と、日々の景色は変わっていた。まずは、ここまでの道のりから話そう。


アパレルから金融へ、そして歯科へ
——「運命の先生」との出会いが人生を変えた
中学生の頃、漫画家・矢沢あいの描く世界に魅了された。アパレルの仕事に就きたい——その一心で、家政学部にアパレル専攻のある大学へ進んだ。新卒で決まった金融機関の就職には、「自分的には、よっしゃ、って感じでした」と振り返るほど胸が躍った。
ところが続いたのは、たった2ヶ月。自分から辞めた。「ずっと言いたくなかったんですよ、その頃は。恥ずかしくて、コンプレックスとプライドが両方あって」。当時の彼女にとっては、長く封印したかった黒歴史だった。
辞めたあと、住んでいたすぐ近くの歯科医院で「募集してます」のチラシを見つけた。「もう、なんか勢いです」。面接の前にまず患者として通ってみたら、「いい感じの院長先生だな」と感じて、そのまま助手として入ってしまった。その院長は、ある意味で「運命の先生」だった。スタッフを大事にする人で、褒め上手。「覚えるの早いね」という言葉を重ねられるうち、5年の助手期間を経て、24歳で歯科衛生士学校へ進学する。「歯科助手より歯科衛生士の方が稼げるし、楽しそうだし、患者さんと近いし、自分でできるから」。「持ち上げ上手だったから、乗っちゃったんですよね」と本人も笑う。
「金融を続けてれば、って思うこともあるんです。でも続けてたら——絶対、衛生士になってない。だから、続けてなくて良かった」。当時の黒歴史を、いまはちゃんと「あれがあって良かった」と言葉にできるようになった。

「全然できていないよ」
——すべてが変わった、ひと言
感染管理に目を向けたのは、職場の消毒室での違和感がきっかけだった。清潔・不潔の流れが気になりはじめた同僚と「全体で共有できる勉強会が必要では」という話になり、齋藤先生に相談。そこから長谷川さんへとつながり、本格的な感染管理の講義を受けることになった。「スタンダードプリコーションも何も。B型肝炎の患者さんが来たらユニットを袋で覆って、器具を別に消毒してた時代でした。本当に、あの講義がきっかけで全く変わりました」。
変わろうと動き出した彼女は、自分で情報をまとめ、参加できなかったスタッフのためにLINEノートを作り、空きアポイントを使って座学も自主開催した。頼まれたわけではなく、「変えたい」の一心で。そんな中、御徒町の分院長に昼食に誘われ、告げられたのが、あの言葉だった。
しかし、この一言が次のステップへの背中を押した。長谷川さんのマスターコースに参加し、感染管理マニュアルを本格的に整備。全クリニック休診にしての研修開催へとつなげた。「くそって感じでしたけど、それが本格的に頑張ってやっていいんだ、というポジションの認識につながりました」。

「"感染管理、全然できていないんだけど。うちのスタッフ"って言われて。泣きそうでした。自分の中で頑張っていたつもりだったので。むかつきも出てくるし、めちゃくちゃショックでした」
悔しさをバネに、殻を破るまで
そこからの数年は、仲間を作る日々だった。当時担当していた御徒町クリニックはLINEメンバーだけで40人を超える特殊な環境。一人でカバーする限界を感じて、歯科助手の二人に感染管理リーダーを頼んだ。「謙虚すぎる人って、立場が与えられないと発信しにくいと思うので」。反発するスタッフには、「こうすると早くなるよ」「合理的だよ」と、その人の価値観に合わせた言葉を選ぶことを覚えた。
人前で話すことに強い苦手意識があったのに、スタッフ向け勉強会の講師も務めた。準備を重ねるほど緊張は遠のき、当日は思っていた以上に話せた。「なんか、開けた感じがしました。あれをやって」。褒められて伸びるタイプだった人が、注意された悔しさを自分のエネルギーに変えられるようになっていった。
そして、全クリニックの歯科衛生士の総主任候補として、名前が挙がる。「自分は何ができるんだろう、って結構わからなくて」——3年前の取材は、この問いのところで終わっていた。

守る人から、見守る人へ
あれから3年。「何ができるんだろう」と言っていた人は、法人全体の歯科衛生士の、いちばん上に立っていた。総主任。彼女の言葉を借りれば「司令塔」だ。
「3年前は、法人の感染管理が私の土台で、必死でした。あの時は、長谷川さんに習った通りに、完璧にやりたかった。結構、できたと思う」
「今は上に立って、若い子たちばっかりになって。みんなが必死に頑張ってくれている。それを、見守りつつ——って感じです」
見守る、は手を離すことではない。いま法人には、5つのクリニックがある。どの医院でも、新しく入るスタッフには、感染管理をわかっているスタッフがマンツーマンで研修を必ず行う——そういう仕組みになった。使うのは、あの頃みんなで作り上げたマニュアル。彼女のいる人形町では、彼女自身が1時間かけて講習をする。「やりやすいように、ちょっと砕きながら」——現場の言葉に翻訳しながら、次の世代に手渡し続けている。

「どこで線を引くか」
——変わらなかったもの
取材の前、診療室を見せてもらった。滅菌から上がった器具を扱う手、引き出しの中を触る手、グローブを着ける場面と外す場面。彼女の説明は、細部まで理由でつながっていた。
コロナの頃は「感染管理命」で、できていない人に注意して回っていた。今は違う。基本は、みんなができるようになった。だから彼女がいま考えているのは、その先だ。守れない完璧ではなく、続けられる正解。効率よく診療が回ること。それでも、譲らない線は絶対に動かさないこと。
「どれが正解かわかんない、正直」と、迷いも隠さない。完璧を語るより、迷いながら続けるほうがずっと難しいことを、この人は知っているのだと思う。
変わったのは、線の引き方。変わらないのは、線を見つめる目のほうだ。

「厳格にしようと思えば、どこまでも厳格にできるんです、感染管理って。だけど、どこで線を引くか、ってすごく思ってて」
「できるだけ、肯定したい」
話していて、いちばん変わったと感じたのは、人への向き合い方だった。
「今までずっと、『言わなきゃ、言わなきゃ』っていう時期があったんですよ。それこそ感染管理も。でも——人に言うのって、疲れるんですよね」
正直な言葉だと思う。注意すること、指摘すること。立場が上がるほど、その回数は増えていく。彼女はそれを、根性で乗り越える方向には行かなかった。
「できるだけ、肯定したいんですよね。スタッフがやってることを。『それは違うんじゃない』ってことは言うんですけど、ルールがちゃんとあって、そこから自分なりにアレンジして、自主的にやってることは——いいなって、評価したいんです」
土台のルールは守る。その上のアレンジは、直すのではなく、喜ぶ。注意の数を減らすのではなく、肯定の数を増やす。そういう順番で、チームを回すようになっていた。
人形町の医院を立ち上げるとき、主任たちと決めたことがある。

「絶対、陰口を言わないようにしよう、って決めたんです。それがちゃんとできてたら、いいクリニックになると思いませんか」
「教えてくれる先輩が、いなかったんですよ」
——だから、自分がなる
次の挑戦の話になった。歯周病分野の認定歯科衛生士。いま、症例を地道に集めている。
理由を聞くと、意外な言葉が返ってきた。「資格がないのに、こういう立場だから、自信がないんですよ。多分、自分に。自分次第で、努力して取れる資格があるんだったら、取って——もうちょっと、自分を整えたいので」。
彼女には、教えてくれる先輩がずっといなかった。「怒ってくれる人とか、たまに齋藤先生みたいな——そういう先輩が、本当に欲しかったですね」。だからいま、自分がそれになろうとしている。いてほしかった人に、自分がなる。
「後輩がめちゃくちゃいっぱいいるから。『吉野さんについていったら、楽しく働けるな、自分のスキルアップにつながるな』って思ってもらえるような衛生士になりたくて」
「チャレンジしてできなかったら、それでいい。やってないのに『目指してた』って言うのは、嫌なので。1回、必死にやってみようかなって」
生きがいは、意外なところにあった
インタビューの終盤、彼女がぽろっと言った言葉が、いちばん印象に残っている。
「最近気づいたんです。きれいごとではなく、私、患者さんと楽しくおしゃべりしながらのメンテナンスが——多分、生きがいかもしれないぐらい、楽しくて」
この仕事に向いているのか、悩んだ時期もあった。新卒の頃。先輩はいない。不安なまま、数年やった。できることが増えて、後輩が増えて、教えるたびに自信になった。今はセミナーに出ると、次の日に後輩へアウトプットすることを心がけている。「言葉にすると、自分のものになる感じがあるので」。
遠回りして見つけた生きがいは、資格でも、肩書でもなく、患者さんとの楽しいおしゃべりだった。それが、彼女らしいと思う。

週末は、娘と原宿へ
仕事の話ばかりでは、と、プライベートのことも聞いてみた。
今ハマっているのは、8歳になった娘と、原宿に出かけること。「スクイーズが流行ってて。シールブームからスクイーズになって。先週も行ってました」。最近のマイブームは麻辣湯。薬膳系が好きなのだそうだ。
フル回転の平日と、娘との週末。その切り替えが、いまの彼女のリズムを作っている。
After Interview
3年前の原稿は、「これからも自分の足で道を切り拓いていく」という一文で結ぶつもりだった。3年経って、答え合わせのような取材になった。守る人は見守る人になり、完璧は「線の引き方」になり、「言わなきゃ」は「肯定したい」になり、生きがいには名前がついた。変わったものは、たくさんある。でも、いちばん大事なところは、何も変わっていなかった。
2時半。彼女は診療に戻っていった。
3年後、また聞きに来ます。

文 / Masayo Hasegawa

