私の医院は、どの患者さんに対しても「いつもと同じ」診療スタイルです。
マスク、ゴーグル、グローブ、エプロンを着ける。器材はきちんと洗って、消毒か滅菌をする。ユニットまわりを整える。相手が誰であっても、変えません。
特別なことをしているわけではないのです。むしろ逆で、「特別扱いをしない」と決めているだけです。この考え方を、標準予防策(スタンダードプリコーション)と呼びます。
このページは、その標準予防策を一枚で見渡すための地図です。どこに何があって、どれとどれがつながっているのか。全体を眺めてから、気になったところを詳しく見にいけるようにしています。
標準予防策とは「すべての人に、同じ対応をする」こと
標準予防策の考えは、「すべての人が、何らかの感染症を持っているかもしれない」という前提に立つことです。
歯科医院で感染症の有無を知る手がかりは、基本的に問診だけ。自己申告です。でも、ご本人が感染症に罹患していることを知らないだけ、またはまだ発症していないだけ、ということは十分にあります。すべての患者さんに検査をするわけにもいきません。
だったら、はじめから全員を同じように扱ってしまうほうが確実です。
感染症とわかっている人だけ警戒するのではなく、誰に対しても同じ守り方をする。これが今、世界中の医療現場で共通している考え方です。
感染源はどこにあるか
標準予防策では、汗を除く湿性の生体物質は、すべて感染源として扱います。
具体的には、血液、体液全般、喀痰、排泄物、傷のある皮膚、そして粘膜。さらに、それらが付着した器材やリネン類も同じように考えます。
つまり歯科の診療は、唾液と血液という感染源に、毎日ふれ続ける仕事だということです。
感染対策とは、この「感染源があるところ」に対して、どう手を打つかを考えることに他なりません。だから、やるべきことは自然と決まってきます。
標準予防策を支える5つの柱
標準予防策は、ひとつの行為ではありません。日々の診療のあちこちに散らばっている実践の集まりです。米国CDCは歯科向けにその要素を整理していますが、ここでは日本の歯科医院で日々の判断が必要になるものを、5つの柱として並べ直しました。
ここから、ひとつずつ見ていきます。
① 手指衛生 ― すべての対策の土台
どれかひとつだけ選べと言われたら、迷わず手指衛生です。手は、院内でもっともよく動き、もっとも多くのものに触れます。
大切なのは、正しい方法を知ることと、必要なタイミングで行うこと。この2つが揃ってはじめて意味を持ちます。どんなに丁寧に洗っても、タイミングがずれていれば守れません。

② 個人防護具(PPE) ― 考え方を「行動」にする
手袋、マスク、ゴーグル、ガウン。守りたい部位に合わせて選び、正しく着けて、正しく外します。
PPEは「感染症の患者さんのときだけ」着けるものではありません。誰に対しても、曝露のリスクがある場面で使う。標準予防策という考え方を、いちばん目に見える形にしたものがPPEです。
そして、いちばんの肝は外すとき。着けるときはきれいですが、外すときは表面が汚れています。

③ 器材の再生処理 ― 洗浄・消毒・滅菌・保管
使った器材を、次の患者さんに安全に使える状態へ戻す工程です。洗浄から始まり、器材の用途に応じて消毒か滅菌を選び、清潔な状態で保管するところまでが一続きになっています。
ここで押さえたいのは、すべてを滅菌する必要はないということ。器材が体のどこに触れるかによって、必要な処理のレベルは変わります。この判断の物差しが、スポルディングの分類です。
そして、どの工程よりも先に来るのが洗浄です。汚れが残っていれば、その先の消毒も滅菌も効きません。

④ 環境表面の清掃・消毒 ― ユニットまわりと院内
患者さんが替わるたびに触れる場所があります。ユニットのヘッドレスト、ライトの取っ手、スイッチ、ミラー、テーブル。手指や器材を介して、汚染はここに移ります。
ポイントは、どこを消毒するのか。どこは清掃なのかを理解しておくこと。体液の付着したグローブで「よく触れるところ」=臨床における接触表面。その他は日常における清掃表面。すべての面を同じ手間で拭くのは現実的ではありませんし、その必要もありません。
さらに一歩進めると、清掃しやすい配置にしておくこと、清潔なものと汚れたものの通り道を分けておくことが効いてきます。器材の再生処理も、動線が悪ければ必ずどこかで交差します。

⑤ 鋭利器材の安全 ― 針を「裸のまま」置かない
歯科には、鋭利なものがたくさんあります。注射針、メス、バー、スケーラーの先端、破折したファイル。血液が付いた鋭利器材による受傷は、血液媒介感染症のもっとも直接的な経路です。
なかでも気をつけたいのが、麻酔の針です。
一般的なルールとして「使った本人が、その場で、耐貫通性の専用容器に捨てる」と言われます。でも歯科では、そのとおりにいきません。麻酔をするのは歯科医師で、そのまま治療に入ります。追加麻酔の可能性もあるので、針はその場では捨てられず、トレーに残ります。
だから歯科で先に決めるべきは、捨て方より「裸の針を置いたままにしない」ことです。
リキャップは、使った歯科医師自身が行う。片手ですくい上げる方法や、キャップを保持する器具を使えば安全にできます。キャップのない針を残したまま次の工程へ渡すと、片づけるスタッフが素手で触れることになる。事故がいちばん起きるのはここです。
そのうえで、誰が・いつ・どこへ捨てるかを院内のルールとして決めます。廃棄容器は使う場所の近くに置き、満杯になる前に交換する。ルールがないまま「気をつけましょう」だけでは、忙しい日に必ず崩れます。
もうひとつ、事故が起きたときのこと。誰に報告し、どこを受診するのか。この手順を起きる前に決めておくことが、いざというときスタッフを守ります。責める仕組みではなく、守る仕組みとして持っておきたいところです。

「感染症の申告があった患者さん」への対応
問診票の感染症の欄に印がついていたら、どうしますか。
もし専用の器具を出したり、特別な消毒液を準備したりしているなら、それは標準予防策の考え方から離れています。
印がついているのは、「申告があった」という事実があるだけです。むしろ、何も書かれていない患者さんが、実は病原体を持っている可能性のほうが見えていません。だから対応を変える必要がない、というより、変えないことこそが対策になります。
標準予防策がうまく回らない医院に、知識が足りないところはほとんどありません。つまずくのは、たいてい「例外」をつくったときです。
あの患者さんのときは。この処置のときは。そうやって線を引いた瞬間から、毎回そこで判断が必要になります。判断が必要なものは、忙しい日にいちばん先に抜け落ちます。
だから私は「全部同じにする」ことをおすすめしています。厳しくするためではなく、そのほうがラクだからです。考えなくていい仕組みは、疲れていても続きます。続くことが、いちばん強い感染対策です。
世界の歯科事情コラム
「すべての人に同じ対応をする」という発想は、最初からあったものではありません。
1980年代、HIVの流行を受けて広まったのがユニバーサル・プリコーションでした。血液を介する感染から医療者を守るという考え方です。その後1990年代に、血液だけでなく汗を除くすべての湿性生体物質を対象とし、患者さんを守る視点も含めた標準予防策へと発展しました。
そして歯科については、米国CDCが2003年にガイドラインを、2016年にその実践版となるサマリーを公表しています。ここで並べた5つの柱も、その整理をもとにしています。
歴史をたどると見えてくるのは、対策の対象が「特定の誰か」から「すべての人」へ広がってきたということ。感染対策の進歩とは、線引きをなくしていく歩みでもありました。
明日からできる3つのこと
- 例外を探してみる:患者さんや処置によって対応を変えている場面がないか、一度だけ見直してみる。
- リキャップを誰がしているか見る:使った歯科医師本人が、その場でキャップを戻していますか。裸の針がトレーに残っていませんか。
- 廃棄容器の置き場所を見る:鋭利な器具の廃棄場所、廃棄方法は統一できているか確認しましょう。
一度に全部を変えなくて大丈夫です。まず全体の地図を持っておくこと。そして気になったところから、ひとつずつ確かめていく。それが、無理なく続く感染管理への近道です。
参考文献
- CDC「Guidelines for Infection Control in Dental Health-Care Settings」(2003) ※鋭利器材の取り扱いを含む
- CDC「Summary of Infection Prevention Practices in Dental Settings」(2016) https://www.cdc.gov/oral-health/hcp/infection-control/index.html
- 日本歯科医学会監修「エビデンスに基づく一般歯科診療における院内感染対策実践マニュアル」(永末書店)
- 日本環境感染学会 各種ガイドライン

長谷川 雅代
歯科衛生士(臨床30年以上)/歯科感染管理協会 監修
1993年堺歯科衛生士専門学校卒。30年以上の臨床経験を持ち、現在も臨床に立ち続けることで「歯科医院の今」を熟知する。その豊富な知見を強みに、スタッフ教育や院内環境の改善に携わる。DHマネジメント協会に所属し、新人教育や標準予防策に基づく意識改革を提案する専門家として全国で研修を行う。理想論に留まらない、現場を知るからこそ可能な実践的感染管理システムの構築とマニュアル整備に注力している。

